臓器移植法・施行10年目の現実

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毎日新聞が臓器移植施行10年目で記事を書いてくれてる。
一つは増えないドナー(臓器の提供者)の問題で
もう一つは生体間移植と脳死の移植の違いという記事です。
とりあえず、全文を引用させていただきますた。


http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20061017ddm003100059000c.html
クローズアップ2006:臓器移植法・施行10年目 増えないドナー

脳死移植と生体移植の違い 脳死者からの臓器提供を可能にした臓器移植法が97年に施行されて、16日で10年目を迎えた。この間、脳死移植は臓器提供者(ドナー)不足で年5例前後にとどまり、ドナーの増加を狙った法改正の動きも進まない。愛媛県警が国内で初めて摘発した臓器売買事件では、手続きに法規制を受けない生体移植の問題点を浮き彫りにした。国内の移植医療の現状と課題をまとめた。【大場あい、永山悦子】

 「日本で移植を受けられれば一番良かった。娘が元気な姿で戻ってきたら、この問題をきちんと考えたい」。米国で臓器移植を受けるため、13日に成田空港を出発した愛知県春日井市の山下みらいちゃん(7カ月)の父努さん(41)は言った。

 みらいちゃんは、生まれつき腸に神経がないヒルシュスプルング病を患い、胃から下の臓器がほとんど働かない。治療は移植を受けるしかない。だが、臓器移植法は15歳未満の子どもからの臓器提供を禁じている。みらいちゃんの体に合う臓器提供はかなわない。

 みらいちゃんのように、移植しか助かる方法がない子どもたちが、高い費用をかけて海を渡るケースは後を絶たない。大阪市阿倍野区の小学1年、羽山友菜ちゃん(7)も、その一人だ。01年に米国で心臓移植を受けた友菜ちゃんは、先月末、初めて小学校の運動会に参加し、他の子どもと一緒に走ったり、おゆうぎをしたりするまでになった。

 移植のため募金活動を始めた時、世間の冷たさを感じたという母直子さん(29)は「今の友菜があるのは移植のおかげ。国内で受けられないことによるつらい経験を繰り返してほしくない」と話す。

 海外で臓器移植を受ける患者(レシピエント)は、子どもだけではない。大人も含めると、これまで少なくとも計522人に上る(厚生労働省の研究班調べ)。臓器移植法施行の97年以降、国内で脳死により臓器を提供した人(ドナー)は47人。これを人口100万人当たりの脳死移植のドナー数で比較すると、日本が年0・5人(02年)。一方、欧州は平均16・6人、米国は21・5人で、30~40倍の開きがあり、海外で脳死移植が盛んに行われている実態が分かる。

 また、国内で移植が少ない理由として、脳死判定を実施する医療機関や、脳死の判定基準が国の指針で厳格に定められていることなどを指摘する声もある。日本臓器移植ネットワークによると、今年6月までに、死亡した患者が脳死による臓器提供の意思を示すドナーカードなどを持っていたケースは713件。期間が異なるため単純比較はできないが、実際に移植が実施されたのは約15分の1にとどまっている。

 ◇法改正めど立たず

 臓器移植法は、付則で3年をめどに見直すとしているが、これまで改正は行われていない。ただ、その動きはある。自民、公明両党の有志議員は今年3月、ドナーを増やすために、二つの改正案を国会に提出した。その一つは、同法がドナーとなる条件と定めた「本人の書面による提供の意思表示」の緩和を柱にしている。

 改正案は「ドナーカードなどの書面が、移植推進の壁になっている」との立場を取り、本人が臓器提供を拒否する意思を示していなければ、家族の同意だけで脳死後の提供を可能とする内容だ。これにより、専門家は「年間30~40例の実施になる」と予測する。

 もう一つの改正案は、みらいちゃんらのような子どもが国内で移植を受けられるように、提供可能な年齢を15歳から12歳以上に引き下げる内容だ。ただ、この案にも、子どもを亡くした保護者らの心情などから、効果に疑問を投げかける声がある。みらいちゃんの父努さんも「もし、娘が将来脳死状態になった場合、素直に臓器提供を考えることは難しい」と漏らす。

 両案は先の通常国会で継続審議となり、臓器移植患者団体連絡会などが、現在開会中の臨時国会での本格審議入りを求めている。しかし、与党内でも意見の集約ができず、めどは立っていない。

 ◇「生体から移植」が増加

 脳死臓器移植が進まない一方、増加が目立つのが手続き上の法規制を受けない生体からの移植だ。日本移植学会などによると、05年の生体腎移植は834件で、ここ10年で2倍近くになった。生体肝移植は96年の120件から、05年は4倍以上の561件に増えた。

 生体移植は、健康な人の体を傷つけるため、「例外的」な適用にとどめるのが原則だ。実際、03年に京都大病院で生体肝ドナーが死亡したり、今年7月には群馬大病院でドナーが重い後遺症になったことが発覚するなど問題化している。

 また、今月に入って、宇和島徳洲会病院愛媛県)を舞台にした生体腎移植に伴う臓器売買事件が臓器移植法施行後、初めて摘発され、ドナー確認のずさんな実態が判明した。

 このため、厚労省は生体移植の初の指針作りに乗り出した。また、民主、社民両党の有志も近く、生体ドナーとなる対象者を規定する臓器移植法改正案を提出する。

 ただ、安易に移植医療を進めることへの批判も根強い。元看護師で「『脳死』臓器移植を許さない市民の会」代表の清水昭美さんは「他人の臓器で人を助けようという発想で、安易に移植に頼るのでなく、まず一人一人の命を助けるという医療の原点に戻るべきだ。移植医療を突き詰めると、売買などを通じて強者だけが甘い汁を吸うことになりかねない」と警告している。

毎日新聞 2006年10月17日 東京朝刊



この記事を最後まで読んでみて、ハッとさせられたように思う。
それは、最後の元看護師さんの意見である。
『移植医療を突き詰めると、売買などを通じて強者だけが甘い汁を吸うことになりかねない』
この一文に関してである。

僕は、これまでにも中国のとんでもない移植事情とかを書いてきてるけど
結局、お金がないとできないという現実がそこにある。
移植が、医療行為じゃなくてビジネスになってる現実を批判してきた。
だけど、いい面もあると思えてならないんだね。

一人が脳死でなくなる。だけど、その方の臓器で助かるひともいるという現実。
これをいい事だと思うか、神にそむくというか人として絶対にやってはならない事としるか?
この判断は、正直まだわからない。

お金なくても、募金という善意でなんとかなる現実もあるし
中国みたいに許しがたい現状もある。
結局、モラルという話になるんだろうけど、どこまで許容範囲なのか?

なんとなく、日本では移植というのは宗教的というと変だけど
多くの人には認められてないんだと思えるようになった。
こういう問題は、日本人の人生観にはそぐわないと思えるな。

だから、脳死というのもいまだにこういう扱いなんだろうし、
もっとリアルな年金とかそういう事のほうが大事でこういう問題を考えるほど
最近は余裕がないんだと思えてならない。

哀しい現実なんだろうけど、きっと10年後も変わらないように最近は思うようになったな。
もうこの問題でベストセラー小説でも書くか、
シナリオ書いて映画化しるかテレビドラマで高視聴率の番組つくるかしないとダメポだな~。。。