ポーランドとトルコと日本の感動秘話

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日本とポーランドというとなんだか縁遠いような感じを受けるんだけど
とってもいい話がある。同じようにトルコと日本にもある。
探せば他の国、例えばモルジブ津波の時の防波堤)とか、
パラオ(橋・戦争時の事)とかたくさんある。

まず、ポーランドから

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20060719k0000m030124000c.html
シベリア孤児:リロさん死亡 ポーランド人孤児の生存者
 【ウィーン会川晴之】約80年前、日本の支援でロシアからポーランドへ帰国した「シベリア孤児」と呼ばれるポーランド人孤児765人の最後の生存者と言われたアントニーナ・リロさん(90)が、ワルシャワで亡くなった。リロさんは95~96年と05年、阪神・淡路大震災で両親を失った日本の子供たちがポーランドに招待された際、日本の震災孤児たちに会って激励していた。

 ポーランドは1918年11月の独立回復までロシアの支配下にあり、政治犯などがシベリアに家族とともに送られ、多くの子供たちが両親を亡くした。ポーランドは独立後、当時のソ連政府に孤児たちの帰還を求めたが拒否され、日本政府に支援を要請。日本政府や日本赤十字社などの協力で765人の孤児が帰還することができた。

 リロさんは6歳の時、ロシア極東のウラジオストクで保護され、大阪で2週間過ごした後、母国ポーランドに戻った。亡くなったのは今月9日。生前はすしが大好物で、「日本は天国みたいなところだった」と感謝を表明していたという。

 またリロさんは、第二次世界大戦中にポーランドユダヤ人を助け、イスラエル政府から賞を授与された。「日本人に助けられたので、今度は私がユダヤ人を助けてお返しした」と話していたという。

毎日新聞 2006年7月18日 22時12分


これは、わかりやすいフラッシュがあるからこれをまずみてほしいです。
以前にもお気に入り限定記事 http://blogs.yahoo.co.jp/toranosuke4you/31159333.html
で書いてるあるんだけど、それがこれ。
http://hamaniyo.jp/~taz/flash/polandNewVer.swf

今でもポーランドと日本はショパンコンクールとか音楽の面で交流があります。
戦場のピアニストという映画もそうでしたしね。
http://www.pl.emb-japan.go.jp/ambasada/j_050902.htm
このリンクの記事はほんとに感動しる!

10年ぶりのポーランド、善意のポーランド人に迎えられて 

10年前の阪神淡路大震災の際、被災した子供たちが95年夏・96年夏と2度に亘り、ポーランドの有志の方々の御厚意によってポーランドに招待されました。

あれから10年、今は皆、立派な青年になり、「もう一度ポーランドに来たい」という希望が寄せられました。

今回、青年達の受け入れに尽力した「ポーランド夏休み計画」10周年記念事務局代表のスタニスワフ・フィリペク博士夫妻をはじめ、各地方自治体・文化団体等の代表、ポーランド・日本商工会の代表、シベリア孤児のアントニーナ・リロさん、ポーランド外務省の日・EU市民交流年関係者等をお招きして、大使公邸にて交流の夕食会を催しました。

冒頭、小野大使より、今回の青年をポーランドで受け入れるにあたり御協力頂いた、各地方自治体・文化団体、ポーランド日本商工会に対し御礼の挨拶をさせて頂きました。青年たちは、ポーランド各地で草の根の交流、日本文化紹介を行い、充実した笑顔で出席者と話していました。また、シベリア孤児のアントニーナ・リロさんも、わざわざ公邸まで足を運んで頂き、青年たちと目を輝かせて話をする姿に、同席者の間で感動の輪が広がりました。 

アントニーナ・リロさんのご冥福を心よりお祈りしたいと思います。


で、トルコという国なんだけど、ここはEUに入りたくてもいれてもらえないとか
今だとイスラエルとかイラン・イラクの件で結構出てくるからついでにというか書いときたい。
これも同じようにフラッシュがあるからまずこれをみてほしいです。
http://www.kokueki.com/swf/toruko.htm

このフラッシュの中にも出てくるように、トルコもまた恩返しをしてくれますた!
だけど、日本政府のその後の対応は、僕が思うに決して誉められないものですた。
この機長以下乗員の皆様は命懸けで飛んでくれたのです。
で、今年の1月に小泉総理がやっとこの機長に会ってお礼を述べることができますた。

その記事がこれです。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiphoto/2006/01/12turkey.html
1985年から僕の記憶だと、誰も政府要人は会って感謝の言葉を述べてないはずです。
これは僕の調べ方が悪く誰かが会いに言って感謝の意を伝えたかもしれないです。

http://sisikaikan.at.infoseek.co.jp/607hamo/turky.html
このリンクの中から抜粋させていただくと、こういう文があります。

 時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクサダム・フセインが「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかった。空港にいた日本人は、パニックに陥った。
 
 そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」  


先に書いたポーランドやこのトルコの事を日本の歴史教科書に書いてあるのでしょうか?
僕の学生時代の記憶では、なかったように思います。
トルコの教科書にはかいてある。では、どうして日本は書いてないのでしょうか?
ほんと~にゆとり教育が問題になる以上に僕はこういう事も大事な事だと思います。

日本という国は資源がないし世界の国々と仲良くしていかないと生きて行けません。
日本を好きと言ってくれる国はほんとにたくさんあります。
嫌いというのは、某アジアの2,3ヶ国くらいではないでしょうか?
自虐史な記述ばかりではなく、未来に結びつく記述がもっとあるべきだと思う。

某公共放送などでもつまらん国のドラマを高額で買って放送するくらいなら
こういう歴史的な番組を作って国民に広く知らせるべきだろうと思うな。
戦争の悲惨さと共に、その裏側での出来事にも、もっと焦点を当てていいと思う。
そして義務教育でも教えるべきだと思います。

ほんとにこういう心温まるいい話を後世に伝えていかなければ意味がないし
やっぱり外交は、お金出すだけじゃなく、
人(国民)と人(国民)のつながりが、何よりも大事だと思いますだ♪




写真一枚目は、アントニーナ・リロさん
二枚目は、小泉総理と機長のアリ・オズデミル氏