人の死って?

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ちょっと興味深いデータなのでご紹介したいと思う。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060426i515.htm?from=main5
脳死」妥当な判定方法、医療スタッフの4割弱

 脳死を人の死と認めることが「医学的に妥当」と考える医療スタッフは4割弱に過ぎず、脳死移植について消極的に考えられていることが、厚生労働省研究班の意識調査でわかった。26日の同省臓器移植委員会で報告された。

 脳死患者から臓器摘出が認められている全国の31病院を対象に、2000年からアンケートを実施。医師、看護師ら計7456人から回答を得て、脳死移植が普及している英国、フランスなど欧州8か国(対象者5447人)で行われた調査と比べた。

 「脳死は死の妥当な判定方法である」との設問に「はい」と答えた人は38・6%、「いいえ」は14・5%で、欧州の81・8%、7・5%と大きな差があった。

 また「自分の死後に臓器提供したい」との設問に「はい」と答えたのは日本が34%だったのに対し、欧州は84%だった。

(2006年4月27日0時19分 読売新聞)



これは、まず人の死とはいう問題なんだけど、日本はこうみると否定的だと感じるな。
人の死とは?という問題なんだけど、これは基本的に医師が決める。
死亡診断書というのは医師しか書けないからそうなるんだけど、
じゃあ医師は何をもって【人の死】を決めてるのか?という事になる。

これは、今も心臓死がそうなんだと思うけど、脳死というのはあんまりない。
正確には、イギリスの統計で、1%くらいがそうであるらしい。
日本もきっと同じくらいだと思うんだけど、人口呼吸の設備がないと脳死はありえない。

人が死ぬ時に立ち会った事がある人は分かると思うけど、
宣告するときに、医師は絶対に心電図とかの機械の電源を落とすはずだ。
それから、宣告して時間を読み上げる。それはなんでか?

宣告した後に、心電図がフラットな線から動いたら困るからだな。
現実には、まだ動く可能性はあるからご家族の不審をかわないために電源落とす。
実際には、事実上死んでる状態だからこれはもうそうするしかないんだと思う。
いろいろ興味を持って調べると、結局遺体が腐敗するまで死は確定しようがないという結論になるらしい

現実にそんなとこまで待って確定させるわけにはいかないからある段階でこういう結論になる。
これはもう歴史的にそういう観念というか、医師の判断でそうなってきた。
その判断が、心臓死というもので、いわゆる3徴候といわれるものになる。
心臓停止、呼吸停止、瞳孔散大というやつだね。

心臓止まると、脈もなくなるし、呼吸止まると息しなくなるし、瞳孔散大すると、光当てても反応しない。で、死んだという事になる。これはもう特別に変だと思わないし、事実みんな受け入れてきた。
で、問題の脳死というのがけど、これは理論で考えると、とてつもなく難しい話になる。
脳死状態と植物状態の違いがわかる一般人は皆無に近いと思うんだな。

で、最初に書いた脳死に関してプロといえる医療スタッフの皆さんは、4割しか支持してない。
この4割という数字をどう評価するべきか?が問題なんだろうけど
僕が思うに、これは少ないと思う。欧米が8割という圧倒的な数字に比べて半分しかない。
やっぱり日本人の生死にかんする気持ちや、宗教観からくるものを考えると、なじまないと感じるな。

これはほんとに難題だし、考えれば考えるほどわけわからんことなんだけど
脳死の判断基準というのは、やっぱり医師の皆さんがよく話し合って決めるべき物だと思う。
いろんな学会の代表の人たちが話し合って全会一致して決まればいいなと思う。
今の脳死の基準はかなり厳格だと思うけど、ほんとにこれが人の死として適当なのか?

今度の臓器移植法改正案も年齢引き下げ案もあるんだけど、子供達は理解できるのか?
ドナーカードに署名できるかという問題もあるし、ほんとにみんな国民は理解してるか?
華々しい募金の報道はあるけど、こういう問題はあんまり問題にされないしね。
これみて、ちょっとでも考えてもらえたらいいな~と思います。