終戦記念日

僕はこの日に小泉総理は公約を守って靖国神社へ参拝すると思っていたし
またそれが日本国の総理としての責務だと思っている。
しかしながら終戦記念日というこの日にその公約は果たされなかったようだ。
非常に残念に思う。誠に遺憾である。

まあ先日の解散記者会見で靖国は争点にする気はないと言ってただけにしない可能性は高かったけど
それでもしてくれる物だと思っていた。理由はもし選挙で負けるという結果になれば自動的に総理ではなくなる。そうなると総理としては一度も8月15日に参拝しなかったことになってしまう。
だからすると思ってた。結果的には靖国より郵政問題で公明党の支持をより明確にするために配慮したのだと理解したい。もちろん中国や韓国の件もあるんだと思う。

さらにこういう談話が発表された。 小泉首相の談話は「かつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」との歴史認識を表明。そのうえで「歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」とし、反省と謝罪の意を改めて明確に示した。

日本はいったいいつまで誤り続けるのだろうか?100年後200年後も謝ってるのか?
有史以来これほどの年月がすぎても戦争の件で謝り続けた国は他にあるのだろうか?
謝罪を求める国はいったいいつまで求めるんだろうか?

またこんなことかくのは気がひけるけど
戦後、日本は一度も戦争してない。これは平和憲法のおかげとどのメディアもジャーナリストもいうけど
僕は本音でいえば違うと思う。それは単なるアメリカの庇護のもとだったからであり
アメリカに戦争を売る国がなかったからだと思う。もっと言えば湾岸戦争給油艦とかは出してる。
直接戦闘に参加してないけど莫大な戦費は出した。つまり事実上戦争に参加してると思う。
日本の石油は大部分は中東からの輸入だから僕はいいと思う。てか思ってる。

僕は戦争は前から書いてるように最後の手段として否定しない。
もちろんしないに越した事はない。でも国家として自衛のためには軍隊は必要だと思う。
平和憲法の理念は確かに素晴らしいと思うけど理念と現実は違う。
もうそろそろアメリカからほんとの意味で独立したほうがいいと思う。
そのうえでアメリカと上手に付き合うべきではないのか?

国連外交とかでも思うけどお金だしてるだけじゃダメだ。お金で他国の心は買えない。
アフリカ諸国とかに対してもそうだし人間の交流こそが大事だと思う。
お金の使い方が間違ってる。戦後60年というひとつの節目を迎えてほんとそう思う。
いったいこの60年はなんだったのか?

物はあふれ物質的満足はじゅうぶんかもだけど精神的には戦前のほうがよかったのではないのか?
どこかの国でもったいないという日本語が素晴らしいと言われてるように
精神的にこの国は疲れ切ってるような感じがする。
抽象的すぎてうまくいえないけどそこらへんをもう一度よく考えないといけないじゃないかな!