サチコさんへ

toranosuke4youさん。
嫉妬したり、されたりするうちが花だと、、仰る。

花と言う意味が、抽象的すぎます。
其れと、主題のご意見になっておりません。

出来ましたら、嫉妬のついての、御意見を期待しております。



という事なので、コメントではとても長くなるし読みにくいからここでお返事します。

まず、表題の過去現在、嫉妬に悩んだり~というのは僕は、基本的にないです。
嫉妬と言うのが、恋愛に関してならほぼ全くないと言っていいくらいないです。
嫉妬をしるという感情を抱いた時、それは恋愛対象者に疑念を持ったという事ですよね。
この時点で僕は、その女は捨てます!

以前にも書きますたけど、絶対的信用なくして愛とは僕は言わないし
そういう女だったのなら僕には必要のない人だからです。
嫉妬という感情は、他人のどうにもならない感情を受けて成立するわけですけど
僕はそういう思いをしてまで一緒に居たくないし、僕を大事にしないならいらないですから。

どこまで行っても自分にはなりえない他人なんだというさめた意識が抜けきらないし
僕は基本的に何でもまず究極的な考え方をするんです。
最悪な状況を常に考えてる。そこまでの想定をして尚、それ以上の事はおきるけど
それも想定のうちであり、それはもう僕の忍耐等の限界を超えたという事になります。

僕の恋愛観というものと、僕以外の人の恋愛観の違いと言えば一言ですけど
嫉妬なんて、されたりするうちが華というのは、
逆に言えば、されなくなったら終わりという意味でもあり
その状態こそが嫉妬という感情がない(どうでもいい)という事だと思います。

では、浮気されてどう思うかという事ですけど、いい気分じゃない事は確かです。
ならどうしるか?ですけど、疑念を抱いた段階で捨てるか、尚その状況を維持しるかですよね。
あ、厳密に言えば疑念を抱いた上で、直接問いただしはしますよ。
その判断次第です。単なる勘違いかもですしね。

僕は友人でも平気で捨てます。それは、友人に相応しくないと思えば友人関係を続ける意義がないから。
子供の頃から僕はそういう処世術だったんです。

嫉妬と言う感情は、僕にとって全く価値のない感情であり、不必要なものです。
ゆえに、そんな感情を恋愛面で抱かせるような女はいらないという当たり前の結論がでます。
現代の恋愛は、ほんとの意味での恋愛じゃなくなってるとすでに思ってるんです。
それは経済と綿密に結びついてる恋愛だからです。

これは失礼を承知で言いますと、女のほうがより顕著であり、お金と結婚してるといっても過言じゃない
もちろん男だってそういう奴はいます。
今、離婚したら生活困るとか、いい暮らしができなくなるとか、まあその類です。
もちろん結婚時だって、高学歴・高収入とかね。
僕はこういうのが大嫌いなんですよ。

子供同士の恋愛ならこうはならないけど、大人になると最後はお金になる。
それはもちろん生活という大前提の上でそういうのはある意味仕方ないのかもだけど
僕はイヤでイヤでたまらないです。


嫉妬という感情が、女編なのはもちろんこういう経済がからんでるし、意地の問題もあるでしょう。
相手を私より美しいと思うことこと事態に対する自分のプライドでもあるでしょう。
だけど、男は釣った魚に餌はやらない性分ですし、目新しい女に常に興味を示す性です。
男は嫉妬しるくらいなら違う女を見つけた方が早いし楽です。

ぶっちゃけて言えば、嫉妬なんてされてなんぼですもん。
哲学的に言えば、捨てられる恐怖というものの裏返しがその嫉妬の大きさに比例すると思います。
非常にいい例に、中国の毛沢東夫人の江青なんかは例としてあげるなら典型的だと思いますよ。
フェミニストの方が見たらものすごい抗議を受けそうですけどね(笑)

件のお友達の件が例にひかれてますたけど、お金あげてまで、
さらに今でも殺したいけど、という気持ちを抱きながらというのは
いったい何がどうなるとこういう結論になるのか?
僕には不思議な出来事です。

それは、僕ならこうはしないという前提があるからそう思う訳で
もちろんこの結論を受け入れるくらいの理解力はあります。
言い換えれば、今の地位を自分より戦闘力のある女(若さ・魅力等)から守ったという自己満足です。
だから自分の男への怒りより、泥棒ネコ(対象は男でなく自分の地位・生活等)が許せないんでは?

正直言えば、僕の恋愛観も少々おかしいのは自覚してるんですけど
僕はものすんごく専制君主的な男なんです。
女は俺のやることに口出すなという恋愛しかしてこなかった。
またそういう恋愛しか必要じゃなかったんです。

僕は、自分が好きという感情よりも、相手がどれだけ僕を大事にしてるかにより重きを置くんです。

恋愛って、最初の片思いの頃は見てるだけでいいから始まって
段々とエスカレートして自分だけのものにしたいってなりますよね。
だけど、ある瞬間からお互いに支えあって生きてきたという共有感を持つようになると
嫉妬という感情は、恐らく存在しない世界に生きてると思う訳です。

もちろん生理的欲求が時に優先する可能性は否定できないけど
それを許容範囲とできないようならその共有感は幻だと思います。

芸の為なら~女房も泣かす~♪という曲がありますけど、これが僕の普通です。
文句があるか~と続くけど、文句があるならいらないです。
女は基本的に受け入れる性であると僕は思ってるし、常に捨てられる恐怖感にさいなまれてると思う。
だからこそ、甘い言葉やら贈り物やらで構ってほしい、
常に気にかけてもらってるという確認がほしい生き物だと思うんです。
ならば、嫉妬と言う感情は切っても切れないものですけど、問題はここからの対応次第です。

僕のようなタイプの男にその種の感情を見せればそれまでですし、
女房に土下座して謝るタイプなら感情を顕にしるのは有効でしょう。
だけど、それは女の生きる上での知恵ですよね。
根本的な解決になってないからです。

嫉妬や浮気話を聞くたび思うのは、話す人の恋愛対象はいったいなんだろうという事ですね。
結局はプライドということなのかもしれませんね。
高ければ高いほど、逆襲がすさまじくなるというね。

これを一言でいうと、されるうちが華ということになるんです。





それから恋愛以外での嫉妬はあります。
それで最も僕が絶望したのは、小学生時に僕より野球で速い球を投げる奴がいたという事実です。
自分の能力を超える奴がこの世に存在してるという事実がショックですた。
勉強とかは競争じゃないって思ってたし、純粋に肉体能力で負けた、勝てないという嫉妬ですね。

この事実は未だに鮮明に記憶にありますし、僕の中では忘れがたい事です。
しかし、これ以上のショックはもうないです。
なぜなら、これを教訓にして僕よりすごい奴はいるとわかったからです。
僕は自分のBESTを尽くして負けたならそれを受け入れる事に方針を変えたからです。

遊びでも何でも絶対に負ける事は許されなかった(僕の中で)時代を超えたんです。
一度受け入れてしまえばもうどうでもよくなるという事がよくわかった。
素直に負かした奴を賞賛できるという事もできるようになった。
嫉妬、ねたみという感情を持つのは全く価値がないと思うようになった。

僕と言う一人の人間の存在を大事に思ってくれればそれが一番幸せってよくわかって来た。
走れメロスって本を子供の時に読んで死ぬほど感動した覚えがあります。
倉本聰の我が青春の時というシナリオを読んだ時も死ぬほど感動しました。
僕は、嫉妬なんてもんをもつより、自分を大事にしてくれる人の為に尽くす方がいいんです。

青木裕二というマンガの人が結婚した後で言ってますたけど
ほんとに自分を理解してくれる女に巡り会えてよかったって。
この夫婦の辞書に嫉妬なんて文字はなかったと僕は考えてます。
それは、お互いがお互いをちゃんと思いやってれば存在しないものだと僕は思うからです。

恋愛でも友情でも、絶対的相互間の信頼なくしては、それはなりたたない。
少しでも疑念を抱けば、それはもはやそういう関係ではないからです。
そこに嫉妬というものが湧き出てくる。

人が人である限りなくならないものだけど、人の気持ちは変わるものというのを最後に認めれば
やっぱり存在しないものになると思う。