名将仰木彬氏死去

ん~、ひじょ~に残念な気持ちになってしまうニュースだ。
西武がパリーグの黄金時代の時に、決して恵まれた戦力じゃないチームで優勝した
名監督だったと思う。強大な戦力で、勝って当たり前のチームの監督じゃなくして
イチロー始め見る目があり、近年稀に見る名監督だった。
ホント~に惜しまれる。今年は命を削って試合にのぞんでたんではないのか?


http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20051215it16.htm

オリックス監督の仰木彬氏が死去
 プロ野球近鉄オリックスで監督を務め、3度パ・リーグを制して1996年には日本一にも輝き、米大リーグ、マリナーズイチロー外野手を見い出した仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日午後4時10分、呼吸不全のため、福岡市内の病院で死去した。

 70歳だった。告別式は近親者だけで行う。

 仰木さんは福岡・東筑高から54年に西鉄(現西武)に入団。三原脩監督の下、西鉄の黄金時代に二塁手として活躍した。67年に引退。西鉄近鉄でコーチを務めた後、88年に近鉄監督に就任した。ロッテとのダブルヘッダーとなった88年10月19日の最終戦では、時間切れ引き分けでリーグ優勝を逃し、「10・19」は、球界の語り草となっている。

 翌89年にリーグ優勝を果たし、94年からはオリックス監督となり、阪神大震災に見舞われた95年には「がんばろう神戸」を合言葉に、パ・リーグ制覇。連覇を達成した96年には“長嶋・巨人”を破り、念願の日本一に輝いた。

 データを生かしながらも、時として大胆なさい配は「仰木マジック」と呼ばれた。近鉄では、野茂英雄投手を1年目からエースとして起用、オリックスでは、無名だった鈴木一朗外野手を「イチロー」の登録名でレギュラーに抜てき、7年連続首位打者を獲得するスーパースターに育て上げた。

 今季、近鉄オリックスが統合された新生「オリックス・バファローズ」の監督に就任。プレーオフ進出争いを演じたが、惜しくも4位となり、今季終了後、健康上の理由から勇退し、オリックスのシニアアドバイザーに転進していた。

 監督としての通算成績は近鉄オリックスの14年間で988勝815敗53引き分け、勝率5割4分8厘。

(2005年12月16日1時53分 読売新聞)


>思い起こせば、あのテレビ朝日がというか久米ひろしの報ステがこの10.19を
 放送してくれたのを見てた覚えがある。
 確か、番組冒頭の挨拶が、パリーグがえらいことになってるから今日はこれを放送するという
 大英断だったと思う。この試合を放送してくれた事はテレ朝史上最高のプレゼントだったな。

 この仰木監督は、なんかいつもお酒を女の人と豪快に飲んでるニュースばっかりだったように思う。
 こういう上司は、やるときゃ~やるというタイプが多いし、また人望もあるように思う。
 ここ最近のプロ野球界はほんとに無残な事になりつつあるし、
 経済界のおもちゃにされつつあるなかでこういう訃報を聞くと、哀しいものがあるな~。

 変な言い方をすると、選手としてエリートじゃなくて監督として成功するというのは
 ある意味、一流大学を出ずに、高卒中卒で名を上げたみたいだから余計に親近感がわく。
 日本のかつての名経営者的センスの監督だからこそだったように思う。
 言い換えれば、現場のたたき上げでここまで上り詰めた感がするな。

 ほんとにこの訃報は、突然であり大きなショックだ。
 今は、ご冥福を心よりお祈りしたいと思います。